実現までの道のり

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東京都心を国内外から集まった三万人が駆ける「東京マラソン2007」

国内では過去に例がない大規模マラソンは2月18日に本番を迎える。

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2003年11月14日、東京都知事の石原慎太郎は定例会見で、
3万-4万人参加の国際市民マラソン開催を表明した。
「経済波及効果、スポーツや観光の振興につながる」と述べ、
銀座などの目抜き通りを走る構想を披露した。

唐突に思えたが、そこに至る流れはあった。
日本陸連で要職を歴任し、東京マラソン事務総長を務める佐々木秀幸によれば、
1995年4月まで続いた鈴木俊一・都知事時代の終わりごろ、
都から陸連に「ニューヨークやパリのようなマラソンはできないか」と相談が持ち込まれた。
このときは陸連内部で意見が一致せず、立ち消えとなる。

その後、96年ごろから、陸連の「21世紀構想」を練る過程で、
少子化、スポーツ離れが進む中、登記・登録競技者数の減少を食い止める
手だてとして市民マラソンに着目した。

02年秋、さらに一歩動く。

当時の副知事が陸連幹部を訪ね、石原知事の意向として東京での大型マラソンの検討を打診した。
知事はニューヨークシティー・マラソンに触発された知人からアイデアを得たようだ。

ニューヨークシティー・マラソンの視察も石原都知事は2005年11月に行った。

一方、市民ランナー側にも熱のこもった動きが続いていた。
毎日新聞の記者だった大島幸夫は、海外での豊富な大会出場経験を下敷きに
都心での国際市民マラソン実現を計画。

01年元日に「大江戸(のちに東京と改称)夢舞いマラソン」を立ち上げ、
お台場から代々木公園まで都心を抜けるコースの歩道を七十七人が走った。
02年一月には百五十人が参加。
03年にNPO法人を設立し、05年秋まで四谷や新宿を発着点に四回の大会を開き、
参加は二千人を超えるまでになった。
この間、大島らのグループは都や警察に足を運び、シンポジウムを重ね、
大会実現に向け声をからした。

こうして道はつながり、開けた 

ただし、70年に参加127人で産声を上げたニューヨークなど海外の大会は、
住民の理解を得つつ、徐々に規模を膨らませ、
今日、参加三万人を超える隆盛を迎えている。

「アイデアを知事にとられちゃった」と笑う大島も「ハードはできた。いかに育てるかだ。
国と都市のすべてが表現されるイベントなんだから」と語る。

 
東京新聞2007年2月10日より引用

 

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